「底辺の仕事ランキング」にみる価値観
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Miracle Life Create Labo.の舟越です!
「底辺の仕事ランキング」にみる価値観!
今日は、そのようなお話です。
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「底辺の仕事ランキング」というのが話題になっています。
就活情報サイトが公開をしていたランキング、だそうですが
「一般的に底辺職と呼ばれている仕事は、社会を下から支えている仕事です。
そのような方がいるからこそ、今の自分があるのだということに気づきましょう」
そういう風に記載がされていたそうです。
その中には、12種類の職業を平均年収とともに紹介されていたそうで
ネット上やSNSで大きく話題として取り上げられているようです。
ネット上やSNSで大きく話題として取り上げられているようです。
私も今、40歳手前の年齢になってきました。
その中で、いろいろな職業も経験してきましたし、
いろいろな職種にもチャレンジをしてきました。
いろいろな職種にもチャレンジをしてきました。
人よりも転職回数としては、多い方だと思います。
その、まだ40年ちょっとの人生経験の中でさえも思うことは
この社会というのは “誰かのおかげで成り立っている” ことです。
この社会というのは “誰かのおかげで成り立っている” ことです。
誰かが仕事をしてくれているからこそ成り立っているのであり、
その仕事に就く、ということもその人なりの理由が必ずあります。
その仕事に就く、ということもその人なりの理由が必ずあります。
「底辺職」と位置付けられてしまった12種類の職業も
そのどれを外しても、現代社会インフラが成り立ちません。
そのどれを外しても、現代社会インフラが成り立ちません。
むしろ、その12種類の職業というのは、必ず必要で、
中でも景気に左右されにくいような職業もあります。
中でも景気に左右されにくいような職業もあります。
今の日本の産業構造を見ても、いずれも必要な職業のように
私、個人としては見受けられる12種類の職業でした。
私、個人としては見受けられる12種類の職業でした。
また、誰でもできる仕事、と解説をされていたようですが
この世の中には誰でもできる仕事のように見えて、
誰にでもできない仕事であることの方が多かったりします。
この世の中には誰でもできる仕事のように見えて、
誰にでもできない仕事であることの方が多かったりします。
一見、あんなの誰にでもできるよね?と思っていて
実際にやってみたら、全然できなかったことなんて多いものです。
実際にやってみたら、全然できなかったことなんて多いものです。
やり続ける中で、誰にでもできない仕事に成っていくわけですし
それを一見、できるように見せているところが魅力だと思います。
それを一見、できるように見せているところが魅力だと思います。
でも、この一件についての問題は、ここだけにないと思います。
「底辺職」というものがいいか悪いか、というのではなく、
本質的、根本的には、『客観的価値観』に重きを置かれていることです。
本質的、根本的には、『客観的価値観』に重きを置かれていることです。
『客観的価値観』とは、年収だとか、労働時間だとか、
そういう数値に置き換えられたデータで見る価値観のことです。
そういう数値に置き換えられたデータで見る価値観のことです。
『都道府県の幸福度ランキング』が毎年発表されていますが
それも『客観的価値観』に重きを置かれていたりします。
それも『客観的価値観』に重きを置かれていたりします。
人口比率がどうか、とか、県内平均年収がどうか、とか
県民に対する病院の数だとか、そういう数値に置き換えられたデータで
この県は幸福度が高い!この県は幸福度が低い!と決めつけます。
県民に対する病院の数だとか、そういう数値に置き換えられたデータで
この県は幸福度が高い!この県は幸福度が低い!と決めつけます。
そうです客観的な数値だけで「決めつけ」ているのです。
その県に住む人にとっては「余計なお世話」ですよね(笑)
だって、他人が勝手に「幸福かどうか」を決めているのですから。
今回の「底辺職」についても「うんうん、その通り!」という人もいれば
「余計なお世話」と思う人もきっといるでしょう。
「余計なお世話」と思う人もきっといるでしょう。
例え、ブラックな業界だとしても「好き」でその仕事に就いて
その仕事に携わりたくて一生懸命がんばって、
自分の役目を全うするよう、務めている人もいて
喜ばれて、その喜びを慶んで、そこに充実感や満足感を感じている人もいます。
その仕事に携わりたくて一生懸命がんばって、
自分の役目を全うするよう、務めている人もいて
喜ばれて、その喜びを慶んで、そこに充実感や満足感を感じている人もいます。
冒頭に述べましたが、その仕事に就いている理由があるはずです。
好きだから勤めている
やむを得ずその仕事をしている
家庭の事情があって勤務体系上そこがよかった
などなど…
理由は人ぞれぞれでしょうが、大切なのはここだと思います。
つまり『主観的価値観』であること。
自分がどうだ、という点です。
主観的に、自分が好きだったり、自分が幸せだったり、
自分がどのように感じているのか、大切です。
自分がどのように感じているのか、大切です。
未来脳で言えば、今の三次産業ほど、人口は減ると私は思っています。
逆に、一次産業をやれている人ほど安定してくるでしょう。
物価が上がり、世界情勢による食料確保が難しくなれば
一次産業で食料を持っている人が1番安定をするからです。
一次産業で食料を持っている人が1番安定をするからです。
そうなると『客観的価値観』は、もう意味を成しませんね。
だって、年収がいくら高くてお金をたくさん持っていても
食料が手に入らなければ、たちまち生きていけないのだから。
食料が手に入らなければ、たちまち生きていけないのだから。
結局、大事なところは『主観的価値観』です。
あなたが幸せなら「幸福度ランキング」なんて関係ないですし
あなたが好きで充実感や満足感を感じているなら
「底辺職ランキング」なんて関係ないです。
あなたが好きで充実感や満足感を感じているなら
「底辺職ランキング」なんて関係ないです。
最大の問題は、こういう『客観的価値観』に左右されることであり
そのデータを大事にする資本主義やカネ第一主義であり
本当に重要な「生き抜く」という視点が欠如していることでしょう。
そのデータを大事にする資本主義やカネ第一主義であり
本当に重要な「生き抜く」という視点が欠如していることでしょう。
社会全体が変革をしていく、それも小規模で、そういう時代ですね。