とにかく、すべてを信じてみること
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あなたがすべてを信じられるようになるとどうなるのか?
今日は、そのようなお話です。
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人が変わろう!とするとき、
この世界をよくしたい!と思うとき、
そういうときに大切なことは、
「すべてを信じる」ということかもしれません。
私は、5歳のころから、お寺のお上人様の説法を
毎月、聞いてメモを取って学ぶことから始まり、
もう30年以上も自己啓発や自分の人生をよくする方法を
学び続けていますが、「信じる」ということさえできれば
人は、満足で、幸福で生きていけるように思います。
その最初のころ、1番最初に聞いたお上人様の言葉が
「勝手に人に期待するから裏切られた気になる」です。
この言葉、一生忘れることはできないでしょうね(笑)
5歳のころの私には、とてつもないインパクトでした。
裏切られた!と思うこと自体、自分の勝手な期待から生じることで
相手にとってみれば、別に裏切ることそのものがお門違いです。
勝手に、あなたが自分の世界でそう受け止めて
そう決めつけてしまっているだけですよね?という話です。
つまり、勝手な思い込みによって、不幸な気になっているんですね。
でも、「信じる」ことができていれば、どうなるでしょう?
例え、いくら裏切られようとも、
例え、こちらの意図とは反していたとしても、
自分も、相手も、その起きる事象についても
すべてを「信じる」ことができていれば?
敵対することもなければ、疑いを持つこともありません。
そうであるから、そこには「信じる」しかなくて
それこそが、キリストのいう「アガペー」だと思います。
アガペー
1 真の愛。神的愛。
2 神の、人間に対する自発的、無条件的絶対愛。
つまり、無償の愛、そのものです。
赤ちゃんや幼い子どもは、一心の信頼を両親や大人に寄せます。
それは、自分では生きていくことができないからです。
また、そうすることで、学び、成長していくためです。
でも、それは私たち大人にとっても、
同じことが言えるのではないでしょうか?
だとしたら、赤ちゃんや幼い子どものように
一心の信頼を、人、モノ、出来事、この世界のあらゆるものに
私たちも寄せてみてはどうでしょうか?
それが人の善なる「光」かもしれません。
「信じる」ことを止めたとき、その言葉、行いは
人の闇へと誘って行ってしまいます。
それは、正しいか、正しくないか、
いいか、悪いか、など、敵を生じさせるものです。
「信じる」こと、これが人の光です。
そして、この世界が明るく照らされる希望になります。
先ずは、あなた自身を「信じる」ことから。
そして、あなたの未来を「信じる」ことから。