達人たちが行っているのは『観察』
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「◯◯くん(私の息子の名前)はですね、
帰りの会でみんなにさよならができなくて
帰りたくない!って走り回ってしまっていたんです…」
今日、息子のことで、幼稚園の先生から報告がありました。
帰りの会で、みんながイスに座っているのに
自分1人だけ、走り回っているなんて!!!
今日は、そのようなお話です。
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自分の息子が、みんなができていることが
できていない、ということにちょっと衝撃で…
「どうしてできなかったかなぁ〜」と
内心、ちょっとうーんっと思っていました。
そして、夜にお風呂に一緒に入っているときに
「今日は幼稚園はどうだった?」と聞いたら
「今日はお友だちに、ちゃんとバイバイできなくて
◯◯(私の息子の名前)泣いちゃったよ〜」
って肩を落としながら話をしてくれました。
「大丈夫だよ、ちゃんと話してくれてありがとう。
じゃあ、明日はバイバイできるといいね〜」って
ハグをして、この話は終えたのですが、、、
お風呂から上がって妻から話を聞いてみると
ちょっと事実は違っていたみたい、なんです。
幼稚園の先生から報告をいただいた話を、もう一度、振り返ります。
「◯◯くん(私の息子の名前)はですね、
帰りの会でみんなにさよならができなくて
帰りたくない!って走り回ってしまっていたんです…」
この文字だけを見ると、帰りの会にイスに座れない
先生の言うことを聞けない落ち着きのない子、に見えます。
社会性を養っていく上で、共同生活ができない子、に見えます。
実際、私もそのように捉えてしまいましたし、
社会性を学ぶ上で、みんなと同じことをすることの
共同生活の大切さ、というのを感じていますから、
息子にも、是非それは学んでほしいと思っています。
しかし、息子の真意は、違うところにあったようです。
息子の本当に気持ち、本音というのは
「まだみんなと、お友だちと遊びたかった」ということ。
ここで「さようなら」を友だちに言ってしまうと
みんなが帰って、お別れになって、今日はもう遊べない。
みんなとまだ遊びたいから、さようならはしない!
そういう想いが息子の中にあったようなのです。
「◯◯くん(私の息子の名前)はですね、
帰りの会でみんなにさよならができなくて
帰りたくない!って走り回ってしまっていたんです…」
この文字からだけで判断をしてしまったことを
私自身、大変深く、後悔と懺悔をしました。。。
帰りの会にイスに座れない。
帰りたくないと言って走り回る。
その言動には、私が思っていたのとは違う
息子なりの真意や意図、というものがあったんです。
人は、パッと見て判断をする際には、
必ず、自分のフィルターを通して見ています。
そのフィルターのことを「固定概念」と呼びます。
これまで作り上げてきた、あなたの価値観です。
人はそれを通して、日頃、左脳で判断を行っているのです。
でも、あなたのフィルターを通して見たとしても
自分の枠の中での「私見」でしかありません。
またそうした「私見」で判断をすることは
自分の枠に相手を当てはめることであり、
相手を尊重していないことの裏返し、です。
恥ずかしながら、、、
今回の私の経験が、まさにそうですね。
「先生の言うことは聞いて!」と思うわけです。
しかし、達人たちが行っているのは『観察』です。
表面だけを見て判断をすることは決してなく、
よく観て、その真意、意図、真理、本質を捉えようとします。
それらのバックボーン(背景)まで、観て知ろうとし、
その理由まで結びついて、理解をしていきます。
「あっ、そういうことだったんだ!」とブレイクスルーします(笑)
そうすると、相手の人のことをより深く理解できて
お互いに信頼関係も安心感もより深くなっていくのです。
但し、そこには、柔軟性も、受け止める受容力も必要です。
柔軟性がないと先入観で視野が狭まってしまいますし
受容力がないと全てを観る前にジャッジをしてしまうから、です。
直ぐに決めつけたり、判断をすることなく、
一度、バックボーンまで観察をしてみること。
その人の状態や意識や思考や見えない領域まで
観ようとする努力をいつも心がけること。
一歩上の人生を歩んでいくために
大切なコミュニケーション力の1つ「観察力」。
私も、あなたも、今日はなにか1つでもいいので
しっかりと全体を見通して、その本質を観ようとしてみましょうね。
すると、いつもとは違う景色、違う光景が観えてきますよ。